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滋賀は竜王

弓の故郷にて

2017年09月14日

続:日置弾正の謎に迫る

1.前回の話から。。。

前回の記事でも触れた日置弾正正次(へき だんじょう まさつぐ)

今回はより詳しく見ていきましょう。

日置弾正は竜王町で近代弓道の築いた人物とされています。

ただ出身は竜王ではなかったようで、出自については不明な点が多く、

すでに江戸時代からその正体については複数の(大きく分けて三つの)説が唱えられています。

大和(奈良)出身説、伊賀(三重)出身説、弾正=吉田重賢同一人物説です。

日置弾正という人は剣術の世界でいうと宮本武蔵のような、

エピソードは多く登場するが実態はよく分からない人物です。

時代も戦国に入る前、室町後期(1500年頃)の生まれと思われ、

史料が残っていないことも謎を深めています。

むしろ、後世になって言及する史料がどんどん増えていったため、

英雄や偉人に尾ひれ背びれがつくように後付けのエピソードが多い印象も受けます。

ちなみに、日置弾正を主人公とする小説も20世紀には書かれました。

(国枝史郎の『弓道中祖伝』、青空文庫参照

 

 

 

2.大和(奈良)出身説

まず出身地についてですが、

日置弾正について初めて本格的に考察した文献が、

享保元年(1716年)に出た『本朝武芸小伝』(ほんちょう ぶげい しょうでん)です。

これは様々な史料から武術の創始者の生涯に迫った、

今で言う武勇伝や英雄譚に近いものですが、

ここでは日置弾正の出自について、

複数の史料(美人草、関六蔵伝、吉田重信系譜など)を検討し、

「大和(奈良)の人なり」と述べられています。

この享保元年という年は八代将軍吉宗による享保の改革がスタートした年です。

一般的には緊縮財政を柱とする行政改革とされていますが、

吉宗はこのとき大いに武芸を奨励し、

戦国時代に途絶えた弓術の礼式を復興させようとしました。

こうして復活したのが小笠原系の弓馬術(今のやぶさめ)です。

享保の武芸復興の雰囲気が武術史研究を促進させた時代でもありました。

日置弾正の来歴に関しては、この本朝武芸小伝がしばしば出典として引用されます。

 

 

3.実は伊賀の人?

しかし実は本朝武芸小伝よりも前の時代に書かれたとされる『足利季世記』(あしかが きせいき)には、

伊賀国(三重)に日置弾正忠豊秀と云う者が出て」という記述があります(第五巻)。

これによると、伊賀から近江(今の滋賀県)に出てきた弾正は佐々木六角高頼・定頼の二代に仕え、

のちに河森(今の竜王町川守)の吉田氏に弓術の奥義を伝授したとされています。

足利季世記は成立年代が不詳(室町後期か)で、作者も分かっていません。

編年体の戦記としては史料価値が高いとされているため、

一応これを最古の出典とします。

ここで言及されている佐々木六角氏は近江の南半分を支配した守護大名で、

近代弓道を作り上げた吉田氏も六角旗下の武将の一人でした。

困ったことに、伊賀説も一行で済ませるだけで、

出身地についてそれ以上の説明がありません。

 

 

4.伊賀説の補強

以上はおおらかな時代の話であったと思います。

日置弾正がどの地域の出身であったのか、江戸時代にはさほど重要視される問題ではありませんでした。

それは学術研究そのものの根底にある知的探究心を満たすだけの材料がなかった時代であったからだと思います。

ともあれ、より日置弾正の出自についての研究が進むのは、それよりはるか後、

20世紀に入ってからのことです。

昭和30〜40年代にかけて、平野栄助氏、石岡久夫先生が

三重県伊賀の柘植(つげ)に日置(ひおき)という地名があり、

日置(ひおき)氏という在地土豪がかつて存在しており、弾正もこの一族の一人ではないかという説を発表しました。

これはとても信憑性のある説でした。

というのは、柘植と発祥の地竜王町は地理的に非常に近い距離にあります。

直線距離で約30km、徒歩(かち)でも2日もあれば着く距離です。

加えて当地の柘植には日置(ひおき)神社という氏社がいまに残ります。

これまで伊賀とか大和など、一言だけ述べられていた出自に関してより具体的な考察が加えられるようになりました。

(弾正伊賀出身説は柘植宗澄氏、伊賀の郷土史家竹島至郎氏も補完するところです。)

 

 

5.研究意義

さて、すこし横道に逸れますが、

どうしてこれほど日置弾正が誰であったのか研究する必要があるのでしょうか。

根本的な問題ですが、そもそも日置弾正の正体はさして重要でないことのように思われます。

というのは、日置弾正がいてもいなくても日置吉田流という近代弓道という柱になった流派が存在したということに相違はないからです。

 

 

結論から言うと、彼が誰であったのか分かったところで歴史は大して変わらないのです。

ただし近代・現代を通じて、日置弾正は「弓道中興の祖」と呼ばれています。

この人を境として戦国から近世(江戸)以降の弓道の歴史はガラリと変わったとされます。

前述の石岡先生や、そして今に生きる弓道研究の大家の方々はかならず弾正の人と成りに自分なりの考察を加えることが、ここ数十年あるいは百年の慣例ともなっています。 

歴史的な人物であるのに謎めいていることが最大の魅力であり、

我々を解決へと駆り立てる要因とも言えます。

閑話休題ですが、そんな人はそもそも存在しないのではないか?、と唱えたのが第三説の弾正=吉田重賢同一人物説です。

 

 

6.日置弾正はいない…?

2005年に出版された『日置の源流』という書籍では、岡山に伝わる流派系図を活字に改め、

その原点となる日置弾正は竜王町川守の吉田重賢と同一人物であるという指摘をしました。

これは岡山の足守藩に伝わる日置流印西派の系図を翻刻したものでした。

(すでに流派内では戦前からそうした話は知られていたようです)

印西(いんさい)派、というのは日置吉田流を源流とする弓術の分派の一つで、

竜王町の近隣の葛巻(かずらまき)村から婿養子として川守の吉田家に入った吉田源八郎重氏(一水軒印西)を始祖とする流派です。

婿養子という立場のため、本家からすれば傍流にあたりますが、

重氏は非常に弓の上手であったようです。

関白秀次に弓を教え、その後は福井に渡り、最終的に徳川将軍に弓を指南しました。

日置吉田流の名手のなかでも徳川家に拝謁したのは重氏が最初です。

つまり分家筋でありながら重氏は吉田家一番の出世頭となったのです。

(一説には、石堂竹林坊という人物も徳川家に弓を指南したと言われています)

そして、日置流印西派は徳川将軍家御用達の流派という意味で「日置當流(へきとうりゅう)」と名乗ることを許されました(後に備前岡山藩でも日置當流という名は許されます)。

これは現代においても変わらぬ伝統として受け継がれている名称です。

さて、そのお墨付きの、権威ある流派の系図には「吉田重賢は日置弾正と異称す」と記載されていることが分かりました。

日置弾正はそもそもいない、吉田重賢と同一人物なのだとハッキリ書かれているのです。

 

 

7.まとめ

以上の三つが日置弾正の出自をめぐる説です。

大和説は、今に至っても掘り込まれていません。

諸所の文献を検討した結果として、奈良の出身であったのでは、と言われている程度です。

伊賀説は、足利季世記の記述を最古として、同書はおそらく出身に言及したものとしては最も日置弾正が生きた時代に近いタイミングで書かれた文書(もんじょ)です。

と同時に伊賀説は、斯道の大家という人々によって補強されてきた説でもありました。

弾正=重賢説は、未だに分析の余地があると思います。

その根拠として挙げられている、日置弾正に教わったとすることで吉田重賢は流派の権威付けを図ったとする説明もやや理由として不分明であると思います。

というのは、日置弾正は同時代人で知らない人はいないスーパースターという存在でもなかったからです。

その当時最も有名だった日置吉田流の射手は、重賢や息子の重政、吉田雪荷であり吉田印西であり、

日置弾正の弟子を自称するよりも、吉田家の出身の弓引きであることをPRするほうが余程出世に有利であったと思われます。

同一人物説には他の(政治的)理由があるような気がしますが、

それについてはまた今度詳しく考えたいと思います。

投稿者 中村匡希 | コメント(0)
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