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ふるさとに戻って飲食店経営

和菜ダイニング こたま・玉山康秀さん

今回のJOINコラムにゲストとして登場していただいたのは、岩手県北上市でオーナーシェフとして「和菜ダイニング こたま」を切り盛りしておられる玉山康秀さんです。

大学進学のために上京し、そこで定まった「東京で勉強したことをふるさとに持ち帰る」という気持ちについてや、ふるさとに店を構えたからこそ享受できるメリットなどを、たっぷりと語っていただきました。「今とは違う業種で地方に店を構えてみたい」という考えを持っている方にとっても必見のアドバイスが満載です。

都会人と地方人の違い

ふるさとである岩手を離れて、東京の大学に進学した頃、私はあらゆる面で都会と地方の違いを感じていました。街の規模も違えば、そこに住む人々の姿も違う。そして何より、人々の考え方の違いに気がつきました。
たとえば就職活動を始めるにあたって、友人と将来のビジョンを話した時のことです。地方出身者は「ああなれたらいいな」という夢は語るものの、そのための手段を現実的に考えていないような気がしました。ところが都会育ちの友人たちは「ああなりたいから、今はこれをやっている」と、具体的な行動を伴った夢の語り方をしていたんです。
ひるがえって自分自身を見てみると、やはり他の地方出身者と同様に、あまり具体的なプランを持っていないことに気づかされました。私はただ「長男だし、いずれは地元に帰ることになるだろうな」と考えていただけだったんです。
その後、私は大手ファミリーレストランチェーンに入社し、働き始めるわけですが、その頃には心に具体的な夢を抱いていました。「東京で学んだことを地元に持ち帰り、いずれは地元で飲食店を経営する」これが当時の目標となりました。

25歳からの軌道修正

ファミリーレストランに就職して数年後、私は店長職をまかされていました。しかし、そこで自分の夢について修正を加える必要性に気づいてしまったんです。
当時の仕事は接客と店舗の数字管理がメインで、調理には関わっていませんでした。つまり、このままの仕事を続けて将来地元に戻った場合、飲食店を開くには調理人を別に雇わなければならない。けれど自分に調理のスキルがあれば、オーナーシェフとして出店できる。そのほうが、経済的にも楽だろうという考えでした。
私は25歳にしてそれまでの職を捨てて、同じ業界ではあるものの、料理人としての修業を一から始めることになったのです。
途中からの軌道修正ですから、スタートは他人よりも遅い。そのため、私は戦略を練りました。
まず料理学校に通うという選択肢を消しました。もともと遅いスタートなのに、さらに学校で数年間を費やすことはできないと考えたからです。
となれば、すぐに現場で働ける店を探すことになるのですが、その際には大きな規模の店は避けました。多くの料理人を抱えて「数年間は下積み」というスタイルの店ではなく、小規模ゆえに「どんどん自分で仕事を覚えろ」というやり方をとる、短期間で成長が見込める店を選んだのです。

独立までの5年間に3軒で修業

雑用から始まった料理人修業は、30歳で独立を果たすまでの5年間続きました。私よりも年は若いものの、先に修業を始めていた「年下の先輩」たちに怒鳴られながら、必死で勉強を続けました。
修業をした店は1軒だけではありません。これも戦略として、いろいろなタイプの店を経験したいと思っていましたので、スタイルの違う店へと移動したんです。
当時、私はふるさとに帰ってから開く店のイメージを、わりと明確に抱いていました。
「北上には、敷居の高い和食の店や安い居酒屋はあっても、その中間に位置する、リーズナブルながらもちゃんとした和食を出す店はない。ならば敷居の高くない和食の店はどうだろう」と考えていたんです。
そこで選んだ修業先は、次のような店でした。まず最初は基本の和食だけではなくオリジナル料理や今どきの和食を学べる創作和食の店。次に、安いメニューを並べて大人数を収容する居酒屋。そしてしっかりとした和食を提供する割烹店。これらを東京で順に学んだうえで、ふるさとに帰って店を出したいと考えていたのです。

ふるさとに戻って飲食店経営

今から4年前のある日、帰郷した際に私は、北上市の繁華街で現在店舗として使っているテナントを見つけました。特に具体的な考えもないままに見てみたのですが、立地もよく広さも希望通りの物件を発見できたのは、何かの縁かもしれない……。そう考えて、私はすぐに先輩や親方に相談してみました。
当時、私は店の親方(板長)に次ぐセカンドという立場で仕事をしていましたが、いざ独立と考えてみると、まだまだ自分の能力への不安もありました。しかし親方や先輩が応援と後押しを約束してくれたこともあり、「やるなら今かもしれない」と考えて、独立に踏み切ったのです。
料理人を目指すという軌道修正から独立まで、5年間。これは他人と比べてみると、短いほうだと思います。しかし、他の人にマネできないことかというと、決してそうではありません。たとえば30歳、40歳を越えてからも、同じようなことはできると思います。
むしろ、40歳を越えて精神的に落ち着いてからのほうが、修行中に「年下の先輩」から怒鳴られても感情的にならずに済むかもしれない、有利かもしれないと思うことがあるくらいです。

地元ゆえの心地よさ

もともと「いずれは地元に戻る」と考えていた私ですが、実際にその希望を叶えられて、本当に満足しています。
地方の市場では、入手が難しい食材が少なくありません。そのために代替品を使った工夫が必要になる……といったマイナスの面もありますが、それを補って余りあるプラスの面があるからです。
たとえば、昔からの知り合いや友人などが「鮎を釣ってきたよ」「ヒラメがとれた」「舞茸を採ってきた」などと、新鮮な食材を持ってきてくれることがよくあります。私は大喜びで、当日のメニューにそれらを書き加えます。
また、東京では市場に並ぶ食材の変化くらいでしか季節感を感じられませんでしたが、こちらでは周囲の山の色を見ているだけで季節の移り変わりを感じることができます。これは料理に季節感を反映することが大切な和食を作っているという仕事面だけではなく、気分的にも癒やされますね。
祖父母や両親など、家族のそばにいられるのも、ありがたいことです。ふるさとに戻ってきたことの、何よりの安心感と言えますね。

「和菜ダイニング こたま」紹介HP
http://a-iwate.com/osusume/kotama/

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