ホーム移住こだわりスタイル自在屋・川井達弘さん

移住こだわりスタイル

「あの生活」を味わうと都会には戻れない

JOIN大使・小林節子さん

今回のJOINコラムにゲストとして登場していただいたのは、フリーアナウンサーとして活躍中の小林節子さん。約8年間にわたり、都内の自宅から長野県原村への往来を続けていたという小林さんですが、2006年には同地への完全移住を果たされました。「ようやく自分が田舎向きの人間だとわかりました。いまは原村での生活が楽しくて仕方ありません」と語る小林さんに、移住を決断するまでのさまざまなエピソードをうかがいました。じっくりとお楽しみください。

引っ越しの繰り返しだった助走期間

私は横浜育ちの「街っ子」です。これまで、ずっと「自分は街での生活が向いている」と思って生きてきました。

ですが今、私は長野県諏訪郡原村という田舎に住んでいます。最近になって、ようやく自分について「実は田舎生活の方が合ってるのかも」と気づいたため、移住を決断したんです。

もともと、農業をなさってる方をはじめとする、ものつくりをされる方々へのあこがれや尊敬があり、でも自分ではできないので、そうした人たちの近くで暮らしてみたいという思いはありました。そして不思議な縁により、原村に素敵な物件を見つけました。

こうして1999年に原村のペンションを購入したのですが、購入してすぐに東京から移住したわけではありません。完全移住を果たす2006年までの間は、月に2回ほどのペースで、週末に利用するという形を続けました。高齢の両親と一緒に原村を訪れるのは非常に楽しいのですが、当時は月曜から金曜までの帯番組を担当しており、そのための取材に土日を使うことも多かったため、「月に3回行ければラッキー」という程度の利用頻度になっていたんです。

実はペンション購入から移住を実現するまでの助走期間には、自宅を何度も引っ越しました。99年から06年までの間だけでも、両親を連れて浅草→麻布→目黒→成城……。いろんな土地や人と出会う楽しさを求めて、あるいは両親の希望を聞く形で、せわしなく移動を繰り返していましたね。

介護の面で東京よりも優れていた

当時、父は90代後半、母も80代後半の年齢に達していましたから、私にとって両親の介護は無視できない問題です。両親を連れての原村への完全移住を決めた理由の一つには「行き届いた看護体制を期待できる」というものがありました。

たとえば私が仕事で地方出張へ行く場合、両親にはショートステイの看護をつける必要があります。ですが東京でショートステイ看護をお願いする場合、3カ月前に予約が必要なのに、私のスケジュールが確定するのは2カ月前になってから。つまり予約が間に合わないんです。

何度かは友人などの助けを借りてこなすことができましたが、これが重なると都内で介護と仕事を両立させていくのは大変だ、という思いだけがつのっていきました。

原村への完全移住を考えたのはこの時です。長年続けていた生放送の帯番組を降板して、私自身が時間をとれるようになったこと。そして約8年におよぶ助走期間を経て、原村ならショートステイ看護を直前に頼んでもなんとかしてもらえると分かっていたことが、移住という決断を後押ししてくれました。田舎の方が、東京よりもはるかに融通を利かせてくれるんです。

その後、父を08年の2月に亡くしましたが、父は自宅での完全看護下で息を引き取ることができました。看護婦さんと何度もじっくり話し合ったうえでのことでしたが、これは東京では非常に難しいことだったと思います。

「なぜ原村か?」の理由とは

私が原村を選んだ理由は……一言では言い表せません。

出会いは、仕事で近くを訪れた時、ついでに立ち寄ったことです。その時に見た、村の景色の美しさに魅了されてしまったんですね。

そこで原村で土地や建物を探してみたんですが、実は最初は別荘を買うつもりでした。ところが、別荘では催し物をしてはいけないという決まりがあったんです。私は今、ペンションの駐車場スペースに建てたホールでさまざまな催しをしていますが、当時から「買ったところに人を集めて何かやりたい」と考えていたんです。

でも別荘ではそれができない。どうしようかと考えていたら、近くのペンションが売りに出ていたんですよ。

ふらりと立ち寄った原村の景色に魅せられ、そして別荘を探すうちにペンションに出会う。これは「縁」としか言えませんね。

原村の気候も気に入ってます。とても乾燥してるんですよ。たとえば同じ長野県の軽井沢と比べても「久しぶりに行っても布団を干す必要がない」くらい乾燥している。そしてあまり風が強くない。湿気や強風が苦手な私は、こういうヨーロッパ的な気候もとても気に入りました。

それに生放送の帯番組を抱えていた私にとって、東京からの距離も遠すぎずにちょうどよかったんです。実は同じ長野県の松本も気に入った土地だったんですが、原村より少し遠い松本だと、行き来するのに遠すぎる感覚があったんです。東京から約200キロという原村は、その意味でも私に合った土地でした。

「あの生活」を味わうと都会には戻れない

移住を決めた当初などは、よく人から「八ヶ岳の景色も、毎日見ていれば飽きるに決まってる」と言われました。けれど、全然そんなことはありません。それどころか、季節の移ろいを毎日感じるくらい、変化に富んでいますよ。

そもそも私は約8年にわたって、週末になると両親を連れて原村へ通うという生活を続けてきました。その当時も人からは「そんな疲れることしてたら死んじゃうよ」と言われていたものですが、私自身は疲れるどころか、原村への往来で元気になっている自分に気づいていました。

つまり私は、こうして時間をかけて「実は田舎向きだった」という自分を知り、移住を決断したというわけです。

考えてみれば、私はもともと菜食主義に近い食の嗜好を持っていましたから、これもまた原村での生活に合っていました。原村で味わう、とれたての野菜のおいしさは格別ですよ。私の家を訪ねてくれた友人はみな、そのおいしさに感動してくれます。

それに、なぜか田舎にいるとお腹がすくんですよね。なぜでしょうか。理由は自分でも分からないんですが、きっと空気がおいしいからかもしれません(笑)。

原村で満喫できる、あの空気とあの水、あの野菜の味、そしてあの気持ちいい目覚め……。伝わりにくいかもしれませんが、「あの生活」をしてしまうと、もう都会には戻れなくなっちゃったんです。

原風景が再現される理想の田舎暮らし

よく「人が嫌いだから田舎に行きたい」という方がいます。でもそれは間違ってますよと、私は言いたい。

田舎には確かに人混みはありません。ですが、人付き合いは圧倒的に濃密です。他人との付き合いが苦手だという方は、都会にいたほうがよっぽど自分の時間を楽しむことができます。介護の面などから見ても、田舎よりも東京の家のほうが孤独になりやすいんです。

が田舎暮らしにあこがれたもう一つの理由が、この濃密な人付き合いでした。近所の方に、畑でとれたての野菜をいただいたりするのもそのひとつですね。

思い返せば、私が子供だった頃には、家にずかずか上がり込んだ隣の子供や近所のおばさんが、お茶を飲んだりご飯を食べたりして帰ってゆくという光景が当たり前でした。私はこの原風景が大好きなんです。そして原村には、今もこの原風景がそのまま広がっています。

先日、我が家を訪れた友人が、うちの冷蔵庫を開けている人を指さして「あの人、誰?」と聞いてきましたが、私は「知らない。うちに遊びに来てる誰かの友達じゃない?」と答えました。元ペンションで客室もベッドもたくさんある我が家には、たくさんの人が遊びに来て、そして気ままに過ごしています。

友人はあきれていましたが、私はこんな生活が大好きなんです。いずれはこういう生活の中から、すごく気の合う人たちと一緒にグループホームを作って暮らしてみたいなと考えてもいます。とても楽しそうでしょう?

小林節子さん公式サイト「小林節子の原村生活」 http://www.kobayashisetsuko.com/index.html

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