
西郷ゆば工房・仲谷照夫さん

今回のゲストは、福島県にある西郷(にしごう)村で、豆腐・ゆば製造販売業の「西郷ゆば工房」を営んでおられる仲谷照夫さんです。緑豊かな環境の中で「ウソのない商品を作っていけることが楽しい」とおっしゃる仲谷さんは、50歳近くまで東京近郊で広告デザインの仕事をされていました。今回は、そんな仲谷さんが現在の状況に身を置くことになったきっかけや、その際の心の動きなどをうかがいました。作りたての豆腐がもたらしてくれる“感動”の大きさを実感できるお話です。

大阪で生まれた私は、幼いころは父の仕事の関係で各地を転々とする生活を送ってきました。それが東京近辺で落ち着いたのは中学生になってからです。
その後、20歳くらいで広告デザインの世界に入り、制作やデザインの仕事に就いてきました。今から約25年前には制作会社も設立し、調子が良かったこともあってセカンドハウスも購入できました。
福島の山里・西郷村に買ったセカンドハウスは、自然に囲まれた環境が気に入って決めたものです。短期間で引越しを繰り返していた幼少時代には“ドがつく田舎”もたくさん経験しましたし、そういうところの方がいい思い出が残っていたので、田舎の風景にあこがれていたんですね。
しかし時代は不況に突入してしまいます。私もその直撃を受けた一人でして、バブルが弾けたころに会社を一度たたむことになりました。以降は自宅兼事務所でひとりで仕事をすることになったのです。
今の私につながる、食品関係とのご縁はこのころに生まれました。食品、それも豆腐のパッケージデザインをすることになったんです。とはいえ、当時の私は豆腐については無知な門外漢にすぎません。そこで、豆腐の工場見学をさせてもらうことにしました。この時点では、あくまでもデザインのために豆腐を作る現場を知っておこう、というだけの話でした。

豆腐の工場を見学して、私はショックを受けました。作りたての豆腐のおいしさが、想像を遙かに超えるものだったからです。食べ慣れている食品も、作りたてだとこんなにおいしいのかと驚いたわけですが、その時、自分の中にメラメラ燃えるものが湧いてきました。「自分もこれをやりたい」という気持ちです。
なぜ、おいしいものを食べたとたんに広告デザイン関係の人間が豆腐作りをやりたくなったのかには理由があります。
広告をやっていると、どうしても物事を「実際よりも良く見せる」という必要にかられます。要するに「ウソをつく」のが仕事になっているわけで、私はそんな仕事に嫌気がさしていたんです。ですから「ウソのない商品を作る」という仕事が輝いて見えた……というわけです。
とはいえ、そこで突然職業を変えたわけではありません。以後10年ほどは、そのまま広告関係の仕事を続けました。豆腐のパッケージデザインについてはかなりの数をこなしました。全国の豆腐製造業の方から発注を頂いて、豆腐パッケージのスペシャリスト的な立場になっていたんです。
そんな中で転機が訪れます。埼玉の太田屋さんという会社の豆腐工場を見学させていただき、その正直な姿勢に好感を持ちました。そこで「実は豆腐や湯葉を作りたい」という話をしてみたところ、協力をしていただけることになったのです。

太田屋さんには豆腐作りを教わったり、機械選びを教わったり、いろいろお世話になりました。他の会社にも、豆腐やゆばの製造法を習うために通いました。このあたりは、パッケージデザインをやっていたがゆえのコネクションですね。
この時点で私の年齢は47~48歳だったと思います。いきなり仕事を変える不安はありましたが、もはや広告仕事に対する嫌悪感はかなりのものになっていましたから、そう迷いはありませんでした。広告デザインの仕事では、たとえ大きな案件を片付けても、何の達成感も感じられなくなっていましたからね。
ちなみに収入面については、バブル以降はそもそもまったくダメな数字しか出せていなかったため、さしたる不安はありませんでした。
自分で最初に企画した商品は、プロ用サイズの、豆乳とにがりのセット。豆腐を手作りするための商品です。これは、そもそものきっかけとなった工場で試食体験、そのおいしさによる衝撃からヒントを得ています。
「作りたての豆腐があんなにおいしいなら、プロの料理人は出来合いの豆腐を買うのではなく、自分で作るべきだ」と思い、だったらそのためのセットを作って、プロの料理人がいるホテルや旅館、レストランに営業をかけて販売していこうという企画でした。

拠点には福島のセカンドハウスを選びました。バブル後、値段が下がって売ることもできずに持ち続けていた物件です。商品製造は、まだ私自身が機械を持っていなかったため、岩手の会社に委託することになりました。
さて、製造は他社に委託してありますから、私の仕事は営業です。自動車で東北各県を回って料理人に会い、目の前で豆腐作りを見せてあげて、食べてもらう。どの料理人も、おいしさに驚いてくれます。私の新たな仕事はこうしてスタートを切りました。
さて、製造は他社に委託してありますから、私の仕事は営業です。自動車で東北各県を回って料理人に会い、目の前で豆腐作りを見せてあげて、食べてもらう。どの料理人も、おいしさに驚いてくれます。私の新たな仕事はこうしてスタートを切りました。
西郷ゆば工房を設立したのは、およそ7年前です。セカンドハウスの敷地内に工場を建てて、ひとりで製造をしていました。途中から近所の方にパートを頼んだりするようになって、今では何人かの仲間と一緒に豆腐・ゆばを作っています。
もともとウソをつく商品を作りたくないという思いがありましたから、7年目を迎えてある程度は軌道に乗ってきた今でも、大量生産はしていません。そうすると自分の目が届かない部分が生まれてしまいますし、それでは「ウソをつかない商品を売りたい」という気持ちに反することになってしまいますから。
長年、豆腐のパッケージデザインをやってきたくせに、自分で作るようになってからは、商品にそういう飾りはつけていません。商品に貼ってあるのは、原材料名や賞味期限などを記したラベルだけです。もう「手作り」とか「本格派」なんていう言葉を使って商品をアピールするのに疲れちゃってるんですよ(笑)。

今、私は60歳を迎えようとしています。いつまでも今と同じように仕事ができるわけではありません。ですから、ともに仕事をしている仲間たちに、いつかは引き継いでもらいたいと思っています。西郷村自体にこの技術が浸透して、残っていってくれたら、それは素敵なことでしょう。
実は村に「大豆の会」というものを作って、原料となる大豆をどんどん地元産のものに切り替えてもいます。
工場を建てた当初はメジャーな国産大豆を使っていたのですが、4年ほど前に地元の方から地元の豆を渡されたことがありました。ためしにそれで豆腐を作ってみたら、ものすごくおいしかったんです。「今後はこれでいこう」とすぐに決めましたね。
それからは地元の人に「これで作ってみませんか」と声を掛けて回ったんです。「大豆の会」はスタートして約4年、ペースアップを重ねていて、去年は約2トンの大豆を収穫することができました。うちの工場で使う豆の総量の約半分ですね。来年か再来年にはきっと、うちで使う豆のすべてをフォローできるようになるはずです。今からその時が楽しみですよ。
ちなみに地元の大豆を使うと、実はコストは高くつきます。なにしろ生産者の方には「有機でいきたいから化学肥料や農薬は使わないでください」と頼んでいるもので、仕方ないんです。でも、これこそがやりたかった「ウソのない仕事」ですからね。
「西郷ゆば工房」公式ホームページ http://www.yubakoubou.net/
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