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武者修行の成果は地元・熊本で

松本建設・松本隆義さん

今回のゲストは、熊本県玉名市にある建設会社で働く松本隆義さんです。大学卒業後、家業には就かずに東京の同業他社へと就職し、「武者修行」を積んだという松本さん。その修行を終えた松本さんは今、地元に戻り、改めて家業である建設会社の一員として働いています。一度は地元を離れて東京の会社に勤め、「目的を果たしたから地元に戻った」という松本さんが選んだ“働く場所”と、その理由などについてうかがいました。

家の仕事と自分の仕事

現在33歳の僕は、父親が社長を務める熊本県玉名市の建設会社で働いています。けれど、学生生活を終えてからすぐに家業に就いたわけではありません。一度は東京の会社に勤め、その後に地元に戻る形で現職に就きました。

家業が建設会社であり、大学も工学部建築学科でしたから、周囲からは「卒業後は当然、家の会社に入るんだろう」と思われていたようですが、実のところ僕自身にそんな考えはまるでありませんでした。長男ですから「いずれは」という思いはありました。だからこそ大学入学時に建築学科を選んでいたわけですが、でも「卒業後いきなり」という考えは皆無だったんです。

父親もそのことについては何も言いませんでしたね。親子として「どういう職業に就きたいか」という会話はしたものの、社長として「ウチに入れ」とは一度も言われませんでしたから。

ですから僕は、就職活動を始めるにあたって大学で渡された「熊本県内の会社リスト」と「県外の会社リスト」のうち、「県外」のほうしか見ませんでした。どうせ外で働くなら、家から遠く離れたところで生活をしてみたいという気持ちがあったからです。

大都市ならどこでもよかった

運良く、就職活動ではあまり苦労をせずに済みました。最初にエントリーした建設会社から内定をもらうことができたからです。東京の中心地にある会社でした。

けれど、今になっても「なぜ東京を選んだのか」という質問には、明確に答えられませんね。生まれてから大学卒業までずっと実家暮らしでしたから、一人での生活をしてみたいという気持ちは確かにありました。

しかだからこそ、実家から通えそうな熊本県内の会社は候補に挙げませんでした。

「じゃあどこがいいか」と言われたら、実際のところは「都市部であればどこでもいい」というくらいしか考えていませんでしたね。地元が嫌いだったわけではなく、むしろ大好きでしたが、玉名市は当時の人口が4万人程度の市でしたから、それとは規模の違う大都市で働いてみて、さまざまな違いを体感したかったんです。

大阪でも名古屋でも福岡でもよかったのに東京を選んだ理由を強いて挙げるなら、同級生や幼なじみなどが何人か東京で暮らしていたから、というくらいでしょうね。つまり、他と比べて東京だけが少しハードルが低く、行きやすいように思えたんです。

会社選びの基準とその目的

会社自体の選び方については、最初から明確なルールを定めていました。

僕はそもそも、就職した会社で長く働こうとは思っていませんでした。そこを武者修行の場として、「10年を目標に、いろいろなスキルを身につけて地元に戻ろう」と考えていたんです。そして、短期決戦で一気にスキルを吸収するには、大企業ではなく中小企業を選ぶ必要がありました。

たとえば社員数が多い巨大企業では業務が細分化されていますが、それほど大きくない規模の会社ならば、5?10年たてばひとつの現場を任せられるくらいの立場になって、さまざまな業務を任される可能性があります。僕はどれかひとつではなく、現場も経理も交渉事もやれるようになっていたかったんです。

入社した企業は、まさにそんなところでした。ただ、少し思惑と外れていたのは、半年ほどのスパンで派遣されるそれぞれの現場が、都市部だけでなく関東圏全体に散らばっていたことです。

都内に暮らしてそこで働くだけではなく、埼玉、茨城、千葉、群馬の各地で仕事をしましたね。地方都市の中心部の場合もあれば、自然が豊かすぎる田舎もありました。けれど、おかげでいろんな経験ができましたし、熊本の地元に近い田舎の空気を感じて落ち着くこともできました。実感としては「都会で働いた」というだけではなく「ものすごくいろんなところで一人暮らしできた」というこの時期のことは、とてもいい思い出になっています。

武者修行の成果は地元・熊本で

「目標は10年でさまざまな仕事を覚えること」 これをひそかに唱えながら働いていたわけですが、実はまた、ここで少し計算違いが出てきました。10年を待たずに、ほとんどの目標を達成できてしまったんです。

やりたかった一人暮らしも堪能し、都心での仕事や生活も体験できた。忙しくて精神的に追い詰められるような現場も、逆に「やること探さないとなあ」というくらい気楽にゆったりできる現場もありました。「次はあんな仕事がしたい」と思っていたら、希望を出したわけでもないのに実現し、「あんな立場に立ちたい」と思っていたら、それもまた叶ってしまう……。

どう考えても実力よりも運が強く作用してましたが(笑)、僕は早い段階で目標のあらかたを達成していました。現場を仕切る、交渉に参加する、全体の数字を管理するといった業務も、入社5年目を迎える頃には担当できていました。

ですが、そうなると別の苦悩が生まれます。以前は配属が変わるたびに「次はどんなところか」「次はアレがやりたい」……とさまざまな希望を持っていたのに、それを一通り味わってしまったために、次へのモチベーションが上がってこなくなっていたんです。

まず第一に、こんな人間が現場にいたら迷惑ですよね。それに、自分にとっても無理に修業を続けることはないと思いましたし、それを振り切ってでも「都会にいたいのか」といえば、そうでもありません。僕は地元も大好きなんです。

となれば、答えはひとつ。僕は地元に戻ることを決めました。

長所と短所は表裏一体

熊本に戻ってからも紆余曲折はありましたが、結局は今の状態に至りました。そうして思うのは、やっぱり地元の落ち着いた雰囲気の心地よさですね。

といっても、都会がイヤなわけじゃないんです。むしろ一度外に出たからこそわかる、地元についての嫌いなところも目に付くようになってしまいました。

たとえば田舎では、人付き合いが濃密で近所に知り合いがたくさんできますが、そのしがらみのせいで突飛なことがしにくい点。といってもそんなに変なことをするわけじゃありませんよ。たとえば僕は、東京時代に買ったオレンジ色のオープンカーを愛車として使っていたんですが……地元に戻ったら、このちょっと派手な車を運転しているだけで年配の方から眉をひそめるような感じでいろいろ言われました。「ただの国産車なのになあ」と言っても無駄です。「ああ、東京のものをそのまま持ちこんでもなじまないのか」と思ったものです。

ただ、こうした短所にも思える点は、長所と表裏一体の関係にあります。僕は地元に戻ってから結婚して家庭を持ちましたが、長男が生まれて自宅に鯉のぼりを立てた時には、近所の人が手伝いに来てくれたり見に来てくれたりしました。こういう関係性は、都会で暮らしていると築きにくいものだろうなと思っているんです。

地元に暮らし続けているだけでは見えにくかった点が見えるようになったのは、やはり一度外で暮らしてみたからこそでしょう。今はまだ直接役に立ってはいませんが、いずれはこの感覚も役立つ時がくるかもしれない、と思っています。

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