
JOIN大使・タイロン橋本さん

今回のゲストは、JOIN大使のお一人にして、マルチシンガーソングライターとして活躍中のタイロン橋本さんです。黒人音楽を追究し、日米で幅広く活動されているタイロン橋本さんは、近年になりご自身が所有する古民家を栃木県矢板市に提供し、地方移住促進の取り組みへ協力されています。しかしそんなタイロンさんも、つい最近までは「田舎なんか大嫌い」だったとか……。今回は、そんな田舎に対する気持ちの動きについて、じっくりお聞きしました。

近年になり、まちづくりシンポジウムに参加したり、JOIN大使をやらせていただいたりと、地域活性化へ協力させていただいていますが、実はこうした活動に昔から興味があったわけではないんです。
地方移住や二地域居住、地方交流ということに興味を持ち始めたのは、ほんの5年ほど前のことでした。実は当時、母の実家であった栃木県矢板市の古い家を相続することになり、それがきっかけで田舎での暮らしというものを見直すようになりました。
母の実家、つまり祖母の家であったその家は、明治28年に建てられた、築100年を超える古い屋敷です。僕自身がその家で育ったわけではありませんが、子供の頃から「おばあちゃんの家」として慣れ親しんできた建物です。
いわゆる昔の庄屋の屋敷ですから、素人目にも大変立派な作りだとわかる家です。釘を一本も使わず組み上げてあり、広い土間や囲炉裏の跡があり、天井も高い。戸も合板など使わず一枚板のものが使われています。
そんな家を、僕が相続することになってしまったわけですが、実際のところは「これをどうやって管理したらいいんだろう」という不安を大きく感じましたね。僕は東京に住んでいますから、家のメンテナンスにかかる時間と手間をどう捻出したらいいのかと頭を抱えていたんです。

古い屋敷の維持管理費用やメンテナンスの手間について、どうしたらいいのか。いろいろと思案していましたが、家を取り壊すことは考えていませんでした。
最終的に手放すことになるとしても、家自体は史跡として残しておくべきものだと思っていましたから、どこかに寄付して資料館のように使ってはどうか……といった風に、昔の文化をしのぶ公共の財産としてもらえないかという方向で考えていました。
とはいえ、そのためにはどんな手続きをしたらいいのかもわからないし、その前にとりあえず家の中は片付けなきゃならない。
こうして、アメリカへ出かけるのを我慢して矢板の屋敷へ通う日々がしばらく続いていました。
矢板市農業公社の方から声をかけていただいたのは、そんな時でした。あの屋敷を、地方移住と地方交流促進のために使いたいというのです。この提案は、僕にとってまさに渡りに船でした。
いま、その屋敷は市にレンタルする形で管理をお任せしています。当時よりもだいぶ綺麗にしていただきましたし、移住体験希望者の方に数ヶ月お貸しして田舎暮らしを味わう拠点として活用されていますから、きっと家も喜んでくれていることでしょう。やはり建物は、使わないとどんどん朽ちていってしまいますからね。

こうして家の相続とともに移住・交流への協力を始めることとなったわけですが、実はこの時まで僕は「交流に興味がない」どころか「田舎なんて大嫌い」という感覚を持っていました。
矢板市の屋敷の周りは小高い丘のようになっており、自然が豊かな場所です。山菜や果物も採れますし、昆虫採集だってし放題です。でも、その自然環境が嫌いだったんです。
実は僕はその時まで、アウトドア活動でいい思いをしたことが一度もなく、農業や林業などにも興味を持っていませんでした。ハイキングも川遊びもキノコ狩りも好きではありませんでした。おまけに趣味のフィールドとしてではなく、生活の場としても田舎を毛嫌いしていました。 特に、野心にあふれた若い頃には「こんな田舎は一刻も早く出て行きたい」と思っていたものです。
ところが家を相続して、その整理のために矢板に向かったある時、友人から「タケノコ掘ってきてよ」と頼まれてしまいました。本当はイヤだったんですが(笑)、頼まれちゃったものですから、仕方なくタケノコを掘っていくと、友人はそれをタケノコご飯にしてくれました。僕の中に「田舎好きの感覚」が芽生え、「自分で採ってきたものへの誇り」が生まれたのは、まさにそのタケノコご飯を食べた時でしたね。味ももちろん素晴らしかったんですが、それ以外の何ともいえない感情が内から湧いてきたんです。

自分が掘ったタケノコを食べたその時に感じた喜びは、今まで感じたことのないものでした。それまで僕は、田舎で山菜を採って喜んでいる人を見ては「なんであんなことで喜ぶんだろう」と不思議に思っていました。でも、自分で「収穫」をしてみると、それまでは何でもないことのように思っていた第一次産業のことが、理解できるようになっていたんです。
実際のところ、僕がやったのは「植える・育てる」という過程をすっ飛ばして「採って食べただけ」ですから、第一次産業に就いている方の喜びに比べたらほんのささいな喜びに過ぎないでしょう。でも、それまでゼロだったものが生まれてきたわけですから、感覚としてはすごく大きかったんですよ。
この時に僕が感じたのは「これは金では買えない感動だ」ということでした。僕は田舎を出ていきなりアメリカへ行って、それまでハリウッドの世界にどっぷりつかってきました。日本の芸能界よりも何倍も濃く、シビアで生臭い「金の切れ目が縁の切れ目」のような世界を目の当たりにしてきました。 当時の僕は、そんな世界に嫌気がさして、金では買えない精神的な充足を求めるようになっていました。だからこそ、矢板の田舎で感じた幸せが、すごく大切なものに思えたんです。

僕は黒人音楽を愛し、その研究を続けています。そして、この仕事は「戦い」だと思っています。音楽の創作活動という戦闘は、感覚が研ぎ澄まされる場であり生存競争にもさらされる都会でしかできないと考えています。
癒やしの空間であり、そこにいるだけで充足してしまう田舎では、闘争心が湧いてこないため、仕事ができないんです。何度か楽器を持って田舎で作曲をしてみようと試みたんですが、自然の音を聞いているだけで癒されてしまう田舎の環境では、非常に動的な黒人音楽の作曲はできませんでした(笑)。
でもその時に、逆に思いました。動的な仕事ではなく静的な仕事……たとえば絵画や工芸といった創作活動を行うには最適なんだろうなと。まだ戦いの仕事を続けるつもりの僕にとっては、仕事の場として不向きなこの田舎も、そうしたものを求めない人にとっては天国なんじゃないかということです。
都会にいて、都会でしたいことがあるという人まで、田舎に行く必要はありません。でも、そうでもないという人ならば、皆さん田舎に行ったほうが楽しいと思うんです。何しろ田舎では、金では買えない心の充足を簡単に得ることができますから。
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