明日香村
ご挨拶
【「日本のはじまりの地」へようこそ】
明日香村は、奈良盆地の南東部に位置し、大阪から約40km、奈良市から約25kmの圏内で、橿原市、桜井市に隣接する都市部から非常に近い場所にあります。6世紀末から7世紀にかけての約100年間、都が置かれ、聖徳太子の「一七条憲法の制定」、中大兄皇子と中臣鎌足による「大化の改新」など、律令国家体制の礎が築かれた「日本のはじまりの地」として知られています。現在東京にある皇居、霞が関、迎賓館といった首都機能が、奈良盆地の南東部に位置する小さな村にあったのです。
【明日香村のいま】
高松塚古墳、石舞台古墳をはじめとした歴史的遺産に加え、明日香村には1,400年にわたり守られてきた豊かな棚田や里山があります。この歴史的景観を保全していくため、昭和55年には、明日香法が制定され、村内の開発を抑制することにより、非常に良好な景観が残されてきました。一方、農林業おける後継者不足等の課題があり、人口は、約5,700人で平成29年4月に過疎の指定を受けるなど減少が進んでいます。
【明日香村が目指すこと】
村は、歴史的遺産と景観を活かし、そこに住む住民が活躍できる「まるごと博物館づくり」を進めており、主要な施策目標として、
・転入者を転出者より多くする「社会人口動態の増」(平成28年度実績 ±0人)
・宿泊者数の増(平成28年度実績 約19,000人)
を掲げています。
こうした目標達成のため、村では農林業振興、チャレンジショップ運営(ASUCOME)による「しごとづくり」、旧小学校跡地での住宅開発事業、観光力強化に向けた近鉄飛鳥駅前での「道の駅」整備の検討、超小型モビリティ・michimoの運行、村西部の集落における宿泊施設の誘致等を行っています。
明日香村は、奈良盆地の南東部に位置し、大阪から約40km、奈良市から約25kmの圏内で、橿原市、桜井市に隣接する都市部から非常に近い場所にあります。6世紀末から7世紀にかけての約100年間、都が置かれ、聖徳太子の「一七条憲法の制定」、中大兄皇子と中臣鎌足による「大化の改新」など、律令国家体制の礎が築かれた「日本のはじまりの地」として知られています。現在東京にある皇居、霞が関、迎賓館といった首都機能が、奈良盆地の南東部に位置する小さな村にあったのです。
【明日香村のいま】
高松塚古墳、石舞台古墳をはじめとした歴史的遺産に加え、明日香村には1,400年にわたり守られてきた豊かな棚田や里山があります。この歴史的景観を保全していくため、昭和55年には、明日香法が制定され、村内の開発を抑制することにより、非常に良好な景観が残されてきました。一方、農林業おける後継者不足等の課題があり、人口は、約5,700人で平成29年4月に過疎の指定を受けるなど減少が進んでいます。
【明日香村が目指すこと】
村は、歴史的遺産と景観を活かし、そこに住む住民が活躍できる「まるごと博物館づくり」を進めており、主要な施策目標として、
・転入者を転出者より多くする「社会人口動態の増」(平成28年度実績 ±0人)
・宿泊者数の増(平成28年度実績 約19,000人)
を掲げています。
こうした目標達成のため、村では農林業振興、チャレンジショップ運営(ASUCOME)による「しごとづくり」、旧小学校跡地での住宅開発事業、観光力強化に向けた近鉄飛鳥駅前での「道の駅」整備の検討、超小型モビリティ・michimoの運行、村西部の集落における宿泊施設の誘致等を行っています。
DATA
- 所在地:奈良県高市郡明日香村
- 面積:24.1km²
- 人口:5681人
- 人口密度:人/km²
- 明日香村発信情報