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田舎暮らし特集

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きっかけは「手に職をつけたい」という思い

榎並谷さんが最初に移住を考えたのは27歳の時。大阪にある建築関係の会社で建築材料の強度試験の仕事に9年間携わってきた彼は、ふと「自分の人生、このままでいいのだろうか」と考えるようになった。「それなりに収入もあるし、結婚もしていて幸せな日々。だけど、モノを壊すのではなく作りたい、手に職をつけたいとの想いが日増しに強くなっていきました」。

小さい頃から大工に憧れ、"職人"という言葉に魅力を感じていた榎並谷さんは書籍や雑誌で情報収集を始めると、ほどなく岐阜県高山市にある『森林たくみ塾』を知った。

「森林たくみ塾は、2年間オークヴィレッジの木工製品を作りながら技術を身につけるという木工職人養成所です。展覧会を見に行くと、手作り家具の数々に一瞬で魅了されてしまい、妻を連れて岐阜県高山市に移り住むことを決意しました。

今考えると、木工の世界を知らない素人の私が無収入を覚悟で飛び込むというのは、大胆な行動だったなぁと思います(笑)。ましてや私も妻もこれまでの人生においてまったく無縁の場所で、知り合いなど一人もいません。根拠のない自信と、妻の温かい協力だけで走り始めたことを今でもよく覚えています」。

膨らむ独立心

貯蓄を切り崩しながら、なんとか2年間の修業期間を終えた榎並谷さんは、卒業後、森林たくみ塾のスタッフとして働き始めた。しかし、彼の目標はあくまで『独立して自分の工房を持つ』こと。「スタッフとして働くのも良いけれど、自らモノ作りをしたいという想いが強くなりました」。スタッフの仕事は塾生が学ぶ環境を整えるのがメインで、モノ作りではない。榎並谷さんの心の中に、転職の2文字が浮かび始める。

そんなとき出会ったのが、愛知県知多郡で1枚板のテーブルなどを作っているインテリアショップの自社工房だった。作りたいモノのイメージが似ていると感じた榎並谷さんは転職を決意。5年間生活をした岐阜県を離れ、愛知県に移り住んだ。

「転職して実際に働き始めると、独立心は強くなる一方でした。そこで、工房を間借りさせてもらって、木工所の仕事と自分の作品作りを並行させながら、物件探しを始めたのです」。関西で自分の工房と住まいを探し始めた榎並谷さん。しかし家賃が高くて、とても見つかりそうになかった。

「物件が見つからずに悩んでいると、妻が"滋賀県は空き家問題を重視している"という情報をどこからか入手しました。もともと釣り好きで琵琶湖には何度も訪れていたため、滋賀県はまったく知らない場所ではありません。これもひとつの縁だと思い、滋賀県へと物件探しに出かけました」。 榎並谷さんは、物件を探しに滋賀県庁に出向いた。するとタイミングよく『移り住みたい人を応援するイベント』を開催するとの情報を得る。後日そのイベントに参加すると、のちにキーパーソンとなった滋賀県庁の清水さんと出会ったのだ。

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  • ※2013年5月執筆

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