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田舎暮らし特集

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すごい地域おこし この11人

佐藤拓也さん

京都府長岡京市出身。関西のサラリーマンだったとき、休暇で訪れた高梁市の吹屋地域。この地域がもつ町並みに心奪われ、定年後は、ここに住みたいと思っていた。ここは、当時付き合っていた彼女、今の奥さんの生まれ育った町でもある。仕事の合間に高梁市の地域おこし協力隊の募集を見付け、応募。高梁市に移住した。

国内最古の現役木造校舎であげた結婚式

活動写真

彼女の実家がある高梁市の山奥、町並み保存地区にも選ばれたこの集落。「定年後はここに住もう」と気長に思っていたが、まさか26歳で移住するとは思ってもいなかった。着任して最初の仕事はお義父さんへの挨拶。着任2年目、27歳の春。7年間付き合った彼女へのプロポーズを成功させた。日頃からお世話になっている地域の皆さんへの感謝の気持ちを込め、現役木造校舎としては国内最古の「吹屋小学校」で地域おこし結婚式を挙げようと決めた。料理は市内の仕出し屋さん、普段は葬式ばかりでそんな華やかな料理は久しく作っていないとのこと。披露宴会場は小学校隣の会議室、引き出物は地元特産品などと、なるべく地域のカラーが出せるように努めた。いよいよ本番、自転車レースが有名な高梁ということで、さっき青年団が飲んでいたビール缶が後輪に結ばれた自転車で「ガラガラガラ~」と音を立てながら新郎が登場し、小学校は笑いに包まれた。新婦は人力車で登場し、小学校のチャイムの音のなか、温かな雰囲気で結婚式は始まった。天気にも恵まれ、親族、友人、職場の人にも結婚式を通して吹屋の魅力と地域の温かさを感じてもらえ、みんなまた訪れたいと言ってくれた。式は大成功に終わった。

新郎新婦として人力車で町並みを走っているとき、近所のおばあちゃんから「この辺りは、もう葬式しかなくて悲しい涙しか流していないけど、今日は二人の幸せそうな顔をみて嬉し涙がでたわ。本当にありがとう。長生きしてよかった。」と言われた。昔は地域で結婚式を挙げることが日常であったが、今では式場で挙げることが当たり前になり、地域では葬式しか行われなくなっているのだと実感した。この吹屋地域で毎年誰かが結婚式を挙げるような、そんな出逢いの町にしていきたいと思う。

谷川ももこさん

福岡県北九州市出身。日本大学獣医学科卒業。大学時代、インターンシップで訪れた対馬で見たのは、島の人たちが作る農作物を荒らしてしまう野生のイノシシやシカ。対馬と関わる仕事がしたいと思っていたときに「地域おこし協力隊の獣害対策」の募集がかかった。大学卒業と同時に対馬に来て、イノシシ・シカの対策・資源活用を通じた島おこし活動に従事している。獣医師。

イノシシ・シカを活用して地域を活性化

イノシシ・シカ肉のソーセージ作り

対馬市有害鳥獣対策室の梅野さんとともに、イノシシ・シカの被害対策、食肉処理施設の運営と商品開発(燻製ソーセージ、レバーパテ、アイスバインなど)、レザークラフトによる普及啓発活動などをしている。実は有害鳥獣被害はイノシシ・シカが問題なのではなく、時代とともに地域の暮らしが変化したことに原因がある。だから、地域の人々の暮らしを見つめなおす必要があり、より多くの地域住民を巻き込むことを考えなくてはならない。肉や革などの資源の活用を促進しているうちに、今までネガティブだったイメージが、「美味しい」「楽しい」とポジティブなイメージに変わってきたことを感じる。イノシシやシカを日々解体し、捕獲もしているので「女の子なのによくやるね~」と驚かれるが、私が楽しく取り組んでいるのを見てか、少しずつ仲間が増えた。レザークラフトを始めたことで関心が高まったり、捕獲隊を結成して初めてのイベントでイノシシのソーセージを食べてもらったら、「自分も免許を取って捕獲に関わろう!」と積極的になってくれた。地元の中学校で対馬の有害鳥獣に関する授業を担当した際にも、次世代の担い手が地域活性化への取り組みをいろいろと考えてくれた。

企業・他の自治体・地域の方々などたくさんのつながりができ、有害鳥獣被害問題に関わる人が増えた。都会にいては感じることのできなかったつながりを実感しながら、日々感謝の気持ちを持って暮らせることは幸せだと思う。だがまだまだ鳥獣被害は減っていない。今後ともより多くの人に、地域での暮らしが楽しくなるようなきっかけをつくり続けたい。

合田幸代さん

徳島県三好市出身。協力隊としての活動地域は、自身が生まれ育った故郷でもある。東京の美術大学卒業し、その後渡英。15年間の留学、海外生活を終え、帰国を考えていた頃、地元三好市が協力隊の受け入れをし「おもしろい田舎」に様変わりしていることを知る。「自分にも何か出来るかもしれない」と思い、応募、Uターンした。現在は、着任3年目。得意の「アート」を活かし活動している。

廃校をアートの拠点に

廃校になった校舎で子どもたちとのアート

協力隊として私は、旧池田町出合にある廃校をアート拠点として「デアイ・プロジェクト」を始めた。その活動内容は、1つ目は、デアイAIR-AIR。芸術家などが一定期間地域に滞在しながら作品制作をする事業の企画、運営。2つ目は、デアイ版画プロジェクト。市内で見つかった150年前のタバコのパッケージ用の版木を復活させる活動。3つ目は、池田ハウスプロジェクト-アーティストによる古民家改修。4つ目は、マチトソラ芸術祭。市内外のNPOや有志と協働して古民家を活用した芸術祭を開催などだ。

「アートはわからない」という人は多い。やりたいことがうまく説明できず、住民にうまく伝わっていないのも自分でよくわかっていた。とにかく「挨拶をする」「お礼を言う」「地域の人の思いを壊さない」ことだけに留意し、活動を続けていくことにした。地域の魅力は何かと問われたときに、「人」と答える人は多いだろう。どの地域に行っても魅力的な「人たち」はいるはずだし、私もそんな人たちに支えられて活動をしてきた。マルシェの時にチンドン屋になる元校長先生、本町通りや市役所のおもてなし部長(私を含め移住者を親身になって助けてくれる方)たち、地域の歩く百科事典のような集落支援員さん、東京から移住してきたカレー屋さん。「アート」を媒体にして、そんな素敵な「人たち」との出会いをつくる。そんな「デアイ・プロジェクト」であり続けたい。

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