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田舎暮らし特集

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すごい地域おこし この11人

佐俣奈津子さん

東京都国分寺市出身。大学時代に観光で訪れた秩父の人たちの他人との距離が近いところに魅力を感じた。その後、都内で販促物製作会社の営業として働いていたが、秩父に住みたいという思いがあり、秩父での地域おこし協力隊募集を見付け、秩父に移住。現在、協力隊として活動2年目を迎えている。

秩父の伝統工芸・織物産業を盛り上げる

織り機で織物を織っているところ

秩父銘仙を始めとした秩父市の織物産業の再活性化が私の活動である。秩父銘仙とは、大正から昭和初期に女学生やカフェの女給が着用するおしゃれ着として一世を風靡した秩父の絹織物だ。2013年12月には100年続く伝統工芸として認められ、秩父銘仙は国の伝統的工芸品に指定された。しかし現在では秩父の織物業は廃れ、稼働する機屋は7軒ほどとなっている。そこで秩父銘仙を後世に残す技術・文化として市をあげて盛り上げていこうとしている。その後、2014年に協力隊に就任した私は、織物の資料館である「ちちぶ銘仙館」での案内業務、秩父市内外のイベントで秩父銘仙の着物を着てのPRや機織り実演、秩父市内の小学校での型染めの体験授業等を主な活動としている。

小学生が自由研究に秩父銘仙をとりあげてくれたことである。夏休みに親子でちちぶ銘仙館に来てくれ、実家が機屋であったことから秩父銘仙をテーマにしたいと言ってくれた。夏休みの終わり頃には、織物の説明から、秩父銘仙の歴史、実際に自分が体験した手織り、型染めの感想などを模造紙5枚いっぱいにまとめた大作を見せに来館してくれた。

自分の意見を押し付けないこと。秩父は地元愛が強い方が多く、秩父銘仙を盛り上げるために自身で活動されている方もいる。そのような方々のところに行ってお話を聞き、お手伝いをしながら自分は何ができるか考えるようにしている。地域が狭いからこそ住民1人1人が地域全体の空気を知っていることは、東京に住んでいた私には無い経験で、それは地域の財産であり、後世に残していきたいと感じている。

岩城美果さん

秋田県能代市出身。「日本一おもしろい村を目指す」達者村事業を行っている青森県南部町で農業ビジネスに関わりたいと思い、南部町の協力隊を志願した。南部町は、フルーツ王国と称されていて、農業が盛んである。協力隊の明確なミッションはなかったが、自ら南部町の「食文化」に着目し、活動している。

自分で見つけたこの町のミッション「食用菊の里の復活」

食用菊を使った料理

南部町は食用菊の産地であり、地元の人々は産地ならではの独特な食べ方をしている。その中で一番魅力的だったのが菊を使った漬物だ。見た目が美しく、こんな食べ方をするのだと感動した私はその漬物を農家のお母さんの協力のもと作成し、漬物日本一を決める「T-1グランプリ」に出品した。結果、東北グランプリとなり、全国大会では応募総数770品の中から審査員特別賞をいただいた。私が作った「菊の花漬け」は今まで作られていた漬物の半分くらいの一口サイズになっている。地域の方なら絶対にしないアレンジだが、みんな何も言わずに受け入れてくれた。それどころか、地域の方からは「なぜ今まで気づかなかったんだ」という声が上がった。外部から来た者だからこそ新しい発見を与えられたと思う。年々減っている食用菊の生産に光があたり、農家の方もあらためて自信を持ってくれたようだ。今後は畑を貸してもらい実際に食用菊を生産・加工するノウハウを教えてもらうつもりだ。少しでも技術を自分のものにして、地域の方と一緒に菊の里・南部町の復活を目指していきたい。

明確なミッションがない中で、私が気づいた地域にこれから必要なこと、それについて自分はどのような活動を行っていきたいのかを地域の方に理解してもらうことはとても重要なのだと気づくことができた。素晴らしい特産物がたくさんある南部町。それを作っている農家さんや、食文化を伝えてきたお母さんたちがもっともっと自信と誇りを持って生産できるような活動をこれからも行っていきたい。

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