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田舎暮らし特集

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すごい地域おこし この11人

眞鍋邦大さん

香川県高松市出身。大学院卒業後、証券会社に入社し、約7年勤務していた。退職して地元に帰ると、地元の美しさやその街で暮らす方々の営みに心を打たれ、自分を育ててくれたふるさとに何か貢献できないかと思い、小豆島に飛び込んだ。現在も小豆島に住んでおり、四国と瀬戸内海の島々を伝え、応援する会社株式会社459を起ち上げた。その他にも株式会社四国食べる通信 代表取締役 兼 編集長、ポンカフェオーナーなどを兼務。

「ティーチングツアー」で地方と俊の若者をつなく

イベントに参加した若者が地元の学校で自己紹介

島には高校以上の高等教育機関がないため、ほとんどの若者が高校を卒業した後、島を離れる。2013年3月には、卒業生239名のうち島に残ったのは僅か15名だったと聞いた。島を離れるのが問題なのではない。20代、30代が少ないことで、中高生が具体的な「大人」像を描くのが難しいのが問題だと感じた。この状況を打開すべく「ティーチングツアー」という企画を考案した。「小豆島の人に逢い、暮らしに触れ、産業を知ると共に、中学生の勉強のお手伝いをしよう!」と呼びかけ、教育や地域に関心の高い若者が、月に一度島を訪れ、寺子屋教室を開催し、島の中学生に勉強を教える学習支援ツアーである。

地方と都市の関係はどちらか一方通行ではありえない。お互いが持っているものを交換し合うことで、両方に価値のある関係となる。島の子供は都市の夢を持つ若者から刺激を受け、島外から来る若者は純粋な子供たちに心を洗われる。また、島の生産者と出会い、島で暮らす人たちと食卓を分かち合うことで観光とは全く違った世界が広がる。一度でもこのティーチングツアーに参加すると、もう小豆島とは無関係ではいられなくなる。驚いたことに、講師として参加してくれた若い学生のうち、最初の2年で2名が小豆島に移住して、地域の活性化に携わってくれている。一度深い交流を持てば他人事でなくなるのが、都会であれ、地方であれ、人の性(さが)というものだ。

遠藤裕未さん

鹿児島県西之表市出身。18歳まで種子島で育ったが、その後関東に移住して、30代前半ごろまでは国際交流NGO「ピースボート」の活動に従事していた。十数年ぶりに種子島に帰省した時に中学・高校の統廃合が進んでいることを知り、ふるさとに貢献したいと思った。現在は、協力隊任期中に起ち上げたなかわり生姜山農園を経営。この取組が評価され、平成25年度の全国過疎地域自立促進会長賞を受賞した。

「生姜山」という地名、昔あった生姜畑を現代によみがえらせる

しょうが収穫祭2012

隊員としての活動の中で最も力を注いだのが「なかわり生姜山農園プロジェクト」だ。中割集落には「生姜山」というバス停があるが、なぜ生姜山なのか、その理由がわからない。周辺の住民に話を聞くと、この集落ではずっと以前に生姜がつくられていたらしいが、生産者はもういなくなってしまったという。私はこれを現代によみがえらせたいと考え、生姜の栽培から加工、販売までができる交流農園を立ち上げることにした。なかわり生姜山農園の拠点として、2001年に廃校となった鴻峰小学校に注目した。私の祖父が校長を務めていたこともあるこの小学校の校舎は、廃校になったその日からほとんど手が入らず、年をとってすっかり寂れてしまっていた。総務省の過疎地域自立活性化支援事業の事業費にも支えられつつ、自分たちの手できれいな状態によみがえらせた。今では、なかわり生姜山農園の本拠地だ。

大切なのは一緒に汗をかくこと。これは私が貫いているポリシーだ。いくら地元の課題が明白であり、解決策が見えていたとしても、正解を声高にいうだけでは人には響かず、地域が活気づくことはない。今いる地域では一年ごとに少子高齢化が進んでいることを肌で実感する。私の子供(現在4か月)が育つときに、遊び仲間がいるような、そんな集落にしていきたいと考えている。

川端俊雄さん

大阪出身。生まれ育った大阪で塗装・造型業の会社で働いていたが、林業にあこがれ、職を探していたときに地域おこし協力隊「林業振興活動員」の募集枠があることを知った。現在は、高知県本山町の地域おこし協力隊として3年目。林業で起業することを見据えながら活動を続けている。

林業のシロウト、起業を志す

活動写真@山の中

高知で林業をしたい!それしか頭になかった。お世話になっている山の師匠との出会いは、移住後に即入団した消防団の飲み会。初対面の先輩団員を前に「林業がやりたくて大阪から移住してきました!」と自己紹介するや否や、「そしたら山へ来るかえ」と、林業会社を経営する方からのお誘い。二つ返事でお願いした。これが、現在も続く師弟関係の始まりだ。その他にも、自らが山主とつながって山林整備の協定を結び、試行錯誤と鍛錬を繰り返す実地作業など、充実した日々を過ごしている。2年経過した現在は、もう1年、やれるだけやりきって、満を持して起業するつもりだ。

着任後、半年が過ぎた頃、地元のテレビ局から受けた取材がきっかけで、単に林業で飯を食うだけではなく、「林業を子どもたちのなりたい職業ランキングに入れたい!」という自分の思いに気付いた。そのためには「林業をやりたい人に対する参入障壁の低い」「小規模でも本業として成り立つ」、そしてなにより「子ども達に身近な」職業でなくてはならない。それはすべて、短いながらも自分が林業に関わり、この業界に欠けていると感じていることなのだ。一人が思えばそこにチャンスは生まれると信じて、ここ本山町で山と共に生きてゆきたい。

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