Interview隊員インタビュー

特集Vol.35 北海道ニセコ町 行動あるのみ ニセコで起業した58歳の本気

齋藤行哉さん(その1)「俺には先がないんだ!」役場で農家で動き回るオヤジ

協力隊に応募されたきっかけとそれまでの生活を教えてください

地元の子どもたちと協力して行った田植え前のしろかき。

地元の子どもたちと協力して行った田植え前のしろかき。

社会人としての経験は30年以上かな。札幌でキトサンなどの自然素材を扱うメーカーに勤務していました。当時は北海道支社の支社部長と開発部長を兼任して、農家や北海道大学の研究所を飛び回っていましたね。

地域おこし協力隊に応募する数年前からは、札幌で知人が経営する飲食店を手伝っていたんですよ。創業100年の老舗の米屋でもあり、米粉も扱っていたんです。その時から「米粉でスイーツを作るなら、自分も食べたいと思える身体にいいものがいい」と思っていましたね。すごく甘いとか、見た目が可愛いものじゃなくて、身体が元気になる米粉スイーツをね。

地域おこし協力隊のことを知ったのも、ちょうどその頃だったかな。テレビのドキュメンタリー番組を見たんです。その後、ニセコ町の募集内容を知って「行政と地域が本気ならニセコで米粉の特産品が作れる!」と思って応募しました。

実際に着任してみての感想や活動の様子をお聞かせ下さい。

100%ニセコ産にこだわった米粉から生まれるスイーツづくり。

100%ニセコ産にこだわった米粉から生まれるスイーツづくり。

ニセコ町の農政課に昨年の5月に配属されて、すぐにニセコ産の米粉を使った商品の開発に取り掛かかろうと、動き回りました。
ところが地域の人も役場の人も急いでない。でも私は今年58歳。急がないと先がないんですよ(笑)。

だから当初は役場で「おれを遊ばせる気か~」「先がないんだ~」と叫んでいました。
そのうちに「怒ってますね~」とか「オヤジが怒ってるぞ!」と、役場のみんなに言われるほど仲がいい(?)関係に。そう、うるさい明るいオヤジでしたね。

そんな状況の中、米粉作りのために毎日、農家をかけずり回っていました。だって米はあっても、ニセコ町には、米粉がなかったんだから!交渉の末、米は手に入れたものの、今度は米を粉にする場所が町内にない。ようやく札幌で見つけてきて、米粉にできました。
こうして100%ニセコ産にこだわった米粉が出来たのが、着任して3カ月ぐらいのときだったかな。とにかく毎日、すごく動いていましたね。

次は米粉でのスイーツ作りです。札幌の飲食店で働いていたときに取得しておいた食品衛生指導員の資格も役立って、地域のコミュニティ活性センターで菓子を作る許可が保健所から出ました。
とはいえ公共の施設ということもあり、紆余曲折もありましたが、ケーキ製造の認可を2011年の11月1日に受け試食会にこぎつけられたのが、昨年の11月11日です。

次は、実際の活動や今後の展望、これから地域おこし協力隊になる方々へのアドバイスなどです。

1 2

記事の続きを読む