Interview隊員インタビュー

Vol.37 応援隊として今、岩手で始める私らしい「何か」 「いわて復興応援隊」として3ヶ月。「これから」な地域の現状に真摯に向き合う

佐々木 敦代さん(その1) 震災から問い続けた自分らしく、役立つ道

いわて復興応援隊に応募されたきっかけとそれまでの生活など教えてください

挨拶回りをすると「こっちさ寄ってけ~」「秋刀魚食べてけ」「野菜持ってける(帰る)か?」必ず何か御馳走になったり頂いたりします。仮設住宅にお住まいの方々の笑顔と優しさに私の方が励まされています。

挨拶回りをすると「こっちさ寄ってけ~」「秋刀魚食べてけ」「野菜持ってける(帰る)か?」必ず何か御馳走になったり頂いたりします。仮設住宅にお住まいの方々の笑顔と優しさに私の方が励まされています。

「岩手のために何かをしたい」。震災直後からずっと、そう思い続けていました。でも「何でもいい」ではなく、自分らしく出来ることを探して、なかなか踏み出せずに1年半が過ぎたとき、偶然見つけたのが「いわて復興応援隊」。じつはネーミングに惹かれたんです。「復興応援隊!? やりたい!」と(笑)。

もちろん、行政と新しいものへの挑戦するという意味でもワクワクして。募集を知ったのが、締め切りギリギリの8月中旬だったのですが、すぐに応募。当時、勤務していたリクルートエージェント(現リクルートキャリア)に交渉して、岩手で着任する前日まで東京で働いて、退職させていただきました。

私は岩手の盛岡の生まれですが、幼少から高校生までは花巻市育ち。その後、東京の大学に進学、就職したのですが、思えばどれも自分ひとりで決めて、家族には事後報告でした。今回の応援隊も決まってからの報告です。直感を信じて、目の前のことに一生懸命のめり込むタイプですが、先のことを考えていないのは欠点かもしれません。
そんな私なのですが、いつも周りの人に恵まれて、助けられていますね。家族や前職の同僚、そして住田町の人々―。本当に感謝しています。

着任してみての感想や活動の様子をお聞かせ下さい。

廃校を利用して行った文化祭。2日で500人近くの来場者を迎えました。校内で行った打ち上げも大事な住民交流の一つです。

廃校を利用して行った文化祭。2日で500人近くの来場者を迎えました。校内で行った打ち上げも大事な住民交流の一つです。

「いわて復興応援隊」は、被災地域復興のために、総務省が推進している外部人材活用制度です。私を含めて14名いる第1期生は、平成24年10月1日から活動しています。
じつは「地域おこし協力隊」は、それが題材になったテレビドラマを昨年見て知ったのですが、活動を比べると応援隊も地域に移住して、地域おこし活動の支援などを行う点などは同じです。

復興に伴う地域協力活動は、同じ岩手県内でもそれぞれ配属された地域によって、変わってきます。
私のいる住田町は、陸前高田など被害が大きかった地域に隣接していますが、内陸で被災はなかったため仮設住宅に暮らす方々との交流などが活動の一つになっていますね。たとえば昨年は、仮設住宅の隣にある廃校になった小学校を利用した文化祭の実行委員を経験しました。

また私自身、農村と都市を繋ぎ、交流人口を拡大させるための企画立案・実行を目指したいと思っています。前職では入社して4年半、一貫して法人営業担当だったのですが、その経験が生かせるコミュニティビジネスをカタチにしたい。ほかにも着地型観光の推進として、地元ガイドの養成講座計画立案・実行などいろいろありますが……、基本的には何でもやります! 産業まつりの司会からローカルテレビのキャスターまで、自分が動いてまちが元気になるのであれば、出来ることは、どんどんやらせていただいています。

次は、実際の活動や今後の展望、これから地域おこし協力隊になる方々へのアドバイスなどです。

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