Interview隊員インタビュー

Vol.38 山口県周防大島町 住んでみたい!郷愁を感じる家族で恋した島 この島で暮らしたい―。家族みんなが好きになった“かわいい”島

三浦宏之さん(その1)日本の原風景が残った島は面白そうなものだらけ!

協力隊に応募されたきっかけとそれまでの生活など教えてください

奥に見える橋が大島大橋、本土柳井市から大島に入る唯一の橋です。その手前に見える公園が、美しい三蒲を創る会によって整備されました。2月22日には、植樹祭が行われ、土地の名物、瀬戸貝を使った料理が振る舞われました。

奥に見える橋が大島大橋、本土柳井市から大島に入る唯一の橋です。その手前に見える公園が、美しい三蒲を創る会によって整備されました。2月22日には、植樹祭が行われ、土地の名物、瀬戸貝を使った料理が振る舞われました。

採用の通知が届いたとき、ガッツポーズで喜んだのは5歳の息子でした。協力隊のホームページを定期的にチェックすること約1年。昨年の10月中旬に周防大島の募集を見つけて、11月上旬には実際に家族みんなで島を訪れたんです。このとき全員が、本当に「この島で暮らしたい」と思いました。

どこか田舎で子育てをしたいというのは、妻の提案です。確かに都会にいるよりも、自然の中にいるときの方が子どもって、いきいきとしている。僕も東京から週末に出かける山や海だけでは、足りない気がしていました。

ただ、ずっと昔から田舎暮らしを考えていたわけでもありません。茨城育ちの僕は、就職は東京を選び、先月まで16年間、ラジオ番組の制作会社で働いていました。15時に出社して27時に退社など時間が不規則だった時期もありましたが、想像するほどはハードじゃなかったです。たぶん。

30歳を過ぎたころですね。いつか田舎で暮らしたいと思い始めました。きっかけは、食卓に並べた豆腐や納豆、油揚げの味噌汁、その原料の多くが国産でなかったのが、ふと気になったから。それで、いつか自分で大豆を作ってみたいなと思ったんです。

実際に地域に暮らしてみての印象をおきかせください

協力隊としての仕事ではありませんが、町役場の担当部署・政策企画課の田中さんより 釣りに誘っていただき、大漁の図。 サバやアジ20匹以上を持ち帰り、自宅でさばいて食べました。ザ・島暮らし。

協力隊としての仕事ではありませんが、町役場の担当部署・政策企画課の田中さんより 釣りに誘っていただき、大漁の図。 サバやアジ20匹以上を持ち帰り、自宅でさばいて食べました。ザ・島暮らし。

ここでの募集を知って、図書館で見つけたのが周防大島出身の民俗学者、宮本常一氏のこの島に関する書籍。読んで、本に描かれた周防大島に惹かれました。

そのイメージで現地を訪れたら、本の中で知った景色が、今もうっすら残っているのに感動しました。 いわゆる在来工法の日本家屋が多く、古民家と呼ばれる家もたくさんあって……。これほどの古民家群はそうそうないのでは? 建築では、焼いた杉の板を外壁に貼っているのですが、それが何とも言えずかっこよくて、かわいいんです。これまで観光で行った島旅で見かけたことがなかった、しっかりしたお寺も多くあります。

僕は2月1日に着任したばかりで、3月末に家族が合流予定。島で困っていることですか? みなさんが面倒を見てくれて、釣りに行くと「これあげます」と、釣った魚を僕が全部持ち帰ることになるので、さばくのが大変とか(笑)。冷凍庫がアジでいっぱいですが、日々の食事で助かっているので、これは嬉しいことですね。

とにかく着たばかりの今、周りに面白そうなものや、会ってみたい人が多すぎて、毎日が楽しいです。

次は、実際の活動や今後の展望、これから地域おこし協力隊になる方々へのアドバイスなどです。

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